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岸和田中学生虐待事件

2014.11.09.Sun.12:13
1988年、Tは結婚した。
2人の男の子に恵まれ平穏な日々を送っていたが、1995年に離婚することになった。子供たちは、Tの祖父母が引き取った。
1998年頃、Tは子連れの母と一緒に住むようになり、別居していた長男と次男の子供2人はTと再び同居するようになった。5人の新しい生活が始まった。

―餓鬼―
しかしトラック運転手のTと内縁の妻は、2002年6月ごろから長男に暴行を行ったり、食事を数日間とらせないなどの虐待をするようになった。

重なる虐待で、10月には弟とともに不登校になる。心配した担任が週に2~3回ほど長男の自宅を訪問するのだが、その度、内縁の妻Kが「寝ているので呼び鈴を鳴らさないでほしい。」と面会を断られた。

次男は虐待に我慢できずに、2003年の夏に実の母親の元に逃げたが、長男はその時すでに自分一人では歩けない状態となってしまっていた。

2003年9月には長男が自力で食事を取ることが出来なくなったことをTらは認識していたが、虐待発覚を恐れ、そのまま長男は放置して死亡させようと共謀した。

2003年11月2日、ついに長男は衰弱死したと誤解するまで放置した挙句、救急車を呼んだ。しかし命の火は消えていなかった。

―生きる屍、灯る命―
通報を受けた救急隊員に助け出され、病院の集中治療室に収容されたが、低血糖症や脳萎縮で昏睡状態に陥り、危険な状態が続いていた。

長男が入院しているにもかかわらず、Tら二人は1度も見舞いに来ない。

少年を搬送した消防隊員は、「かなり痩せ細っていた。15歳と思えなかった。」と語っている。保護された時、長男は身長155センチに対して、体重が24キロと、7歳の子ども並にまで落ちていた。

6帖の部屋に軟禁されていたが、その窓は頑丈に目張りされていて、外からは何も見えない状態であった。

しかも長男は自分では歩けないほど衰弱し、ブルーシートの上に寝かされていた。一応掛け布団はかけられていたが、トイレの行き来も制限され、排泄物はブルーシートの上に垂れ流しの状態だった。

―我が身可愛い―
2004年1月25日、大阪府警は2人に、長男は餓死してもかまわないという未必の殺意があったとして、殺人未遂の容疑で逮捕に踏み切った。

父親のT容疑者は暴行について、しつけの範囲を超えていたとしながらも、食事を与えなかったことについては長男が食べなかったと供述した。

長男は病院に運ばれる数日前も部屋を歩き回り、前の日も会話を交わして「おやすみ」と言っていたとも供述したが、警察は餓死寸前の長男にそのような事ができるわけがないと、供述の矛盾を追求した。

K容疑者も、長男が学校のいじめに悩んで家に引きこもるようになり、食事を取らなくなったと、容疑を否認した。

しかし早朝から夜遅くまで、仕事で家を空けていたT容疑者よりも、家にいるK容疑者の方が虐待に深く関わっていたと睨んでいる。

1年余りで体重が半分近くまでに減るような悲惨な虐待だった。少年が保護された後、実際にこの少年を診断した医師は「腕の皮下脂肪がない、胸の筋肉が全然ない。明らかに飢餓であるとみて間違いない。病気にかかっている場合なら別だが、虐待事例でここまで酷い状態を見るのは初めてだ。」と話している。

この長男を餓死寸前まで虐待した事件は、岸和田中学生虐待事件として、2004年1月26日付の朝刊各紙で報道された。

事件直後は長男は意識不明の状態が続いたが、治療の結果が高じて意識を取り戻し、簡単な会話ができる程度には回復した。だが知能は著しく低下し、また身体に障害も残っている。

2006年5月23日、殺人未遂罪に問われた実父T被告(当時42歳)の控訴審判決で、大阪高裁は懲役14年とした一審大阪地裁判決を支持、被告側の控訴を棄却した。

2007年3月26日、殺人未遂罪に問われた内縁の妻K被告(当時41歳)に、大阪地裁堺支部は、懲役14年の判決を言い渡した。


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