メアリ・エレン・ウィルソン事件

2014.11.13.Thu.12:51
エレンちゃんは、1864年にニューヨーク市で生まれた。不幸にも生まれて間もなく父親が死に、母親は女一人でエレンちゃんを育てることになった。

しかし母親は、生活資金を稼ぐためにまだ幼なかった娘と共に過ごし養育をする時間が取れず、娘をスコアーという女性に寄宿させることになる。

その後、経済状況が悪化すると、スコアーに支払う養育費用を滞納するようになった。娘に会いに来ることも少なくなっていった。

エレンちゃんが2歳の時、スコアーは母親が養育費を三週間も滞納したとして寄宿させることを放棄し、エレンちゃんを市の慈善局に預けた。もちろんその後、エレンちゃんを引き取りに来ることはなかった。

エレンちゃんは、1865年にブラックウェルズ島(現在はルーズベルト島)に送られる。この島には様々な病院、保護施設、矯正施設があり、病気で飢えていた子供たちを収容していた。

ここに住む子供たちの三分の二は、成人を迎えることなく死んでいくという、いわゆる「子捨て島」であった。

―悲劇の始まり―
1866年、慈善局は、以前子を捨てた夫妻が自分の子供を改めて引き取りに来た際に、エレンちゃんも一緒に引き受けることを許可した。ただしニューヨーク市は、夫妻に対し、エレンちゃんの養育状況を年に一度、報告する事を義務づけた。

まもなく夫は死亡し、妻であったメアリ・マコーマックはフランシス・コノリーと再婚することになる。

コノリー家でのエレンちゃんの扱いは、下女以下だった。エレンちゃんは暴力を振るわれ、働かされ、外に出ることも許されず、クローゼットの中に何日も閉じ込められ、ほとんど風呂に入ることを許されなかった。

この様子をアパートの大家はうすうす感づき始めた。ある日大家は、目に余る虐待の場面に遭遇し、それを止めに入ったが、母親のメアリ・マコーマックは、大家婦人の静止を逆に法に訴えると言って、静止を跳ねつけ、エレンちゃんに対する虐待を止める事はなかった。

―わずかな光―
コノリー一家は、徐々に虐待が明るみになることを危惧し、引越しの準備を始める。

大家婦人は、ケースワーカーのエタ・エンジェル・ウィーラーにエレンちゃんの虐待について相談しに行った。

この話を聞いたウィーラーは、コノリー一家の隣に住む結核を患った女の子を介護するという名目で、コノリー一家に近づき、きっかけを作ってエレンちゃんの元も訪れた。

ウィーラーが会ったエレンちゃん(当時8歳)は、ぼろぼろの洋服を着て、腕と足はアザだらけだった。

この深刻な状況見た彼女は、即座に法的保護を実現するために活動を始める。彼女はまず警察へ実情を訴えた。しかしエレンちゃんに対する暴行の明らかな証拠がなかったため、警察が捜査することはなかった。

次に彼女は慈善団体を訪ずねた。しかし当時のニューヨーク市では、法的な手続きを経ないとチャリティー団体に預けることはできず、またチャリティー団体が主体的に行動を起こすことは許されていなかった。

この状態を打破するためには、暴力に関する証拠集めと超法規的な解決しか道が残っていないように思えた。

彼女は、アメリカの動物虐待防止と動物の権利を守る活動の創始者として地元に多くの支持者がいるヘンリー・バーグの代理人を訪ねた。

動物ではないが、コノリー一家のエレンちゃんが虐待を受けているという事実を話し、その裏付けとして近隣の住民からの証言を集めることを訴えた。ヘンリー・バーグは代理人から話を聞き、エレンちゃんを助ける活動は、虐待という意味において同じであるという決意のもと、救出に向けて行動を起こした。

彼は、関係各局に対して、まともな人間や慈善団体の保護下に置かれることがなければ、コノリー夫妻はエレンちゃんを死ぬまで虐待し続けるであろうと主張した。多くの隣人証言にも助けられて、ウィーラー婦人とバーグ氏は、法規に則ったうえでコノリー家からエレンちゃんを取りあげることに成功した。

その結果、約6年に及ぶエレンちゃんに対する養母のメアリ・マコーマック・コノリーの虐待は世間の明るみに出た。

―裁判による虐待の認定―
ニューヨーク州最高裁判所が認めた養父母によるエレンちゃんへの虐待の事実は以下のとおりだった。
・日常的に厳しい殴打が行なわれた
・食べ物を十分に与えてもらえなかった
・床に寝ることを強いられた
・寒い冬でも暖かい服を与えてもらえなかった
・日常的に鍵をかけられた部屋の中に閉じ込められた
・夜間を除いてはコノリー夫妻のいた部屋からの外出を認められなかった。

1874年4月10日、エレンちゃん(当時10歳)も裁判所にて自分の置かれた環境の詳細を証言した。

・自分の両親は死んだ
・自分の年を知らない
・コノリー一家と暮らし始める以前のことはなにも憶えていない
・メアリ・マコーマック・コノリー夫人のことをママと呼ばされた
・くつを持っていたことはあるがいつのことかは憶えていない
・その年の冬に靴と靴下を与えられなかった
・外出が認められても庭までであった
・自分は窓の下にあったカーペットの切れ端の上で寝ていた
・就寝の際は下着のみを着用し、布をかけ布団にして寝ていた
・友達を作ることを許されなかった
・ほぼ毎日メアリ・マコーマック・コノリー夫人に特製のムチで叩かれていた
・常にアザと傷だらけであった
・頭に黒と青のアザがあった
・メアリ・マコーマック・コノリー夫人にハサミで叩かれ、額に傷が残っている
・自分は誰からもキスをされたことがない
・メアリ・マコーマック・コノリー夫人のひざに抱かれて優しくされたことがない
・こわくて自分の置かれていた状況を誰にも話したことがない
・一着のキャラコの服とスカート以外の衣服を持っていた記憶が無い
・部屋で他の衣類を見たことはあるが、着ることは許されなかった
・メアリ・マコーマック・コノリー夫人が外出する際には寝室に閉じこめられていた
・メアリ・マコーマック・コノリー夫人に叩かれたとき何も言われず、なぜ自分は叩かれたのかわからない
・叩かれ続けるのでメアリ・マコーマック・コノリー夫人のもとへは帰りたくない
・家から外出した記憶が無い

メアリ・マコーマック・コノリー夫人は、判決で1年間の刑務所暮らしを言い渡された。

この事件がきっかけとなり児童虐待防止法が生まれ、同じ年に世界で初めての児童を虐待から救う目的で作られたニューヨーク児童虐待防止協会が創立された。

―エレンちゃんその後―
1888年に24歳で、エレンは結婚する。彼らは二人の子供を授かった。 夫には、前の結婚で三人の子供がいたが、同じように育てた。また彼らは後に孤児の女の子を養子にしている。

そして1956年に92歳で永眠した。


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