山口母親殺害事件

2014.11.25.Tue.12:24
山口母親殺害事件は、後に大阪姉妹殺害事件を起こす当時16歳の少年が起こした事件である。

少年は2000年7月29日、山口県山口市で当時50歳の母親を金属バットで殴り殺害した。

― 少年はなぜ母親を殺したのか ―
少年の父親は酒癖が悪く、妻や少年に対し暴力を振るっていた。1995年に父親が病死し、その後は母親と2人暮らしであった。少年は学校では目立たない存在で友人も少なく、中学2年の頃から不登校がちとなり、修学旅行などの行事にも参加しなかった。中学校時代の少年は「悪魔」と呼ばれたこともあった。

高校へは進学せず、知人の紹介で新聞販売店で働き始め、ここでの仕事ぶりは真面目だったらしく、給料約9万円の半分を家におさめていた。
だが母親の借金のことを知り、取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納しており、生活保護も申し込んだが認可されなかった。事件直前の7月27日と28日には仕事を初めて無断欠勤しており、同僚に「母親が借金している」と悩みを話していた。また母親には再婚話があり「僕は邪魔者だから家を出る」とも話していた。

2000年7月29日午後9時ごろ、少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけたということで母親と口論になる。少年は母親に問いただしたが認めず、母親が少年に対し「出て行け」などと言ったことに腹を立て、借金の事も絡んで口論となった。
怒りを抑えられなくなった少年は金属バットで母親の頭と顔と胸などを殴り、母親を殺害した。7月31日午前1時頃、少年は「母親を殺した」と通報し、緊急逮捕される。

少年は当初、弁護士選任を拒否し、派遣された弁護士と接見した際にも「自分はどうなってもいい」という話をして接見室から出て行った。
山口家庭裁判所は「動機に酌量の余地があり、計画的な非行ではなく、家庭環境も考慮すべき」として、中等少年院送致とした。

少年は審判で「許されないことをしてしまった。母が抱えていたものをもっと説明してくれていれば、違ったことになったかもしれない」と話した。
2000年当時は凶悪な少年事件が話題になっていたが、他の事件に比べて「母親の借金で口論になった」というものだったので、それほど凶悪犯罪扱いはされなかったのである。

― 少年の真の姿 ―
少年は2003年に岡山少年院を仮退院した。仮退院に関して、精神科の医師は更生に疑問を呈する意見を出していた。 パチンコ店に住みこみで働いたが、2005年頃からパチスロ機を不正操作し大当たりを出すグループに加わるが窃盗未遂容疑で逮捕され起訴猶予となった。その後も続けようとしたが稼ぎが上がらず離脱し、近くの公園などに野宿をしていた。

2005年11月17日、大阪市浪速区のマンションに住む飲食店店員の姉妹が刺殺された。
事件前日未明、姉妹が住む部屋の電気が停電し、配電盤のそばにいる眼鏡をかけた男を姉が発見し、勤務先の同僚や客に打ち明けていた。

2005年11月17日午前2時半ごろ、仕事を終えて帰宅した姉(当時27歳)がドアを開けた瞬間に背後から襲撃、ナイフで胸を突き刺し強姦した。約10分後に帰ってきた妹の胸も刺し、陵辱。その後、ベランダでたばこを吸った後に姉妹の胸を再び突き刺してとどめを刺し、室内に放火し金品を奪ったうえ逃走した。2人は病院に運ばれたが搬送先で間もなく死亡した。

大阪府警は同年12月5日、建造物侵入容疑で加害者を逮捕し、12月19日には強盗殺人容疑で再逮捕した。凶器のナイフは犯行現場マンションに近い神社の敷地内の倉庫で発見された。この逮捕で、犯人が山口母親殺害事件を起こしていたことがメディアで取り上げられた。
警察の調べに対し加害者は「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」「誰でもいいから殺そうと思った」と述べた。

法廷に2万2796人分の、犯人に死刑を求める嘆願書が提出された。これは殺された姉妹の友人たちが集めた異例のもので、これを見せられ「どう思う」と検察官に問われても、少年は「何も」としか答えなかった。

10月31日、殺害された姉妹の遺族が極刑を求めた。
11月10日、検察側は死刑を求刑し弁護人権限で控訴するが、加害者本人が控訴を取り下げ、死刑が確定した。
2009年7月28日、大阪拘置所にて死刑が執行、執行時年齢25歳であった。



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