少年ライフル魔事件

2014.11.19.Wed.18:24
1965年(昭和40年)4月15日、18歳の誕生日を迎えた片桐は40日の有給休暇をとった。

自宅に戻った片桐は姉名義のライフルを自分名義に変更した。さらに自分の貯金が24万円ほどあったので、東京都渋谷区の「ロイヤル銃砲火薬店」で3万9000円のSKBライフル銃を月賦で購入し、後楽園や立川の射撃場に行って射撃に熱中した。父親は片桐が持ち帰ってくる点数表を見てはあれこれと批評した。40日の有給休暇が過ぎたが、そのまま会社には戻らず退職願を出した。

7月29日午前11時頃、片桐は神奈川県高座郡座間町(現・座間市)の山道をライフル銃を手にぶらついていた。
このとき、巡回中の大和署の田所巡査(21歳)に声をかけられた。その呼び止め方が片桐の神経に触った。いかにも威圧的な感じであったのだ。
片桐は無視したが、なおも田所巡査は威嚇する声で呼び止めた。片桐は腹が立ち、銃口を田所巡査に向けて撃った。その銃声を聞いて駆けつけてきた谷山巡査(当時23歳)もついでに撃った。
片桐は巡査のピストル、警察手帳、制服、ズボンを奪って、警官になりすまし、そこから100メートルと離れていない宮坂福太郎(当時33歳)方に現れた。
「近くで撃ち合いがあり、犯人に逃げられたので車を出してほしい」と要請した。宮坂はその堂々とした警官ぶりにニセ巡査と見破ることはできなかった。
田所巡査はその後、病院に運ばれたが、午後2時半頃、死亡した。谷山巡査も左股貫通の重傷を負った。

その後、片桐は宮坂が運転するマツダ軽四輪の後部座席に乗り、行き先を指示した。
住宅街を通り抜け、国道246号線を町田市に向かった。町田市の商店街に入り、宮坂は交番に訊けば逃げた犯人の情報が分かるかもしれないと思い、片桐に「交番に寄ってみたらどうか」と言ったが、片桐はあいまいに拒否の返事をした。

午後0時10分、宮坂は原町田交番前の交差点で急ブレーキを踏んだ。このとき、交番では町田署からちょうど事件の連絡を受けたところで、交番の警官は電話口に向かって「今、手配されてる車が来ましたっ」と怒鳴った。
宮坂は車から降りると交番へ向かった。交番の警官は腰のピストルに手をやった。片桐は宮坂のあとを追ってピストルを宮坂の脇腹に突きつけ後退させた。

その瞬間、偶然にもトヨペット・ニューコロナが片桐の前で停車した。片桐は宮坂を突き放して、ニューコロナの後部座席に飛び込み、運転していた谷川英男(当時30歳)に命じてそのまま走り去った。
カーラジオからは「警察官が2人重傷」のニュースが流れ、片桐が乗り換えた車が手配されていることを伝えた。

その後、川崎市の稲田堤で停車中の日産セドリックのライトバンを奪って乗り換え、谷川に運転を命じて逃走した。
ライトバンの持ち主は走行中のトラックを止め、警察へ通報するように頼んだ。

神奈川県警では、この頃になって本格的に捜査を開始した。
機動隊パトカー6台、警らパトカー7台、交通機動隊の白バイ85台、交通パトカー16台を動員、33ヶ所に検問所を設けて緊急配備についた。だが、片桐の奪ったライトバンは多摩川を渡って東京都に入っていた。

午後2時過ぎ、小金井公園に到着した。そこで停車中の日産セドリックを乗車していた男女の2人ごと奪い、ライトバンを捨て、谷川を助手席に押し込んで、人質3人をピストルで脅しながら五日市街道から井の頭公園、さらに水道道路へ向かわせた。
カーラジオからは「田所巡査が死亡」、さらに「乗り捨ててあったライトバンが発見された」「主要道路で3000人の警官が検問中」というニュースが流れた。

渋谷区に入った頃、気分が悪いと訴え出た人質の女性を代々木上原付近の内科病院前で解放した。その後、渋谷区の周辺をぐるぐる回っていたが、やがて「ロイヤル銃砲火薬店」の向いの渋谷消防署前で車を停めさせると、人質2人を残して片桐は車から降り、「ロイヤル銃砲火薬店」に向かった。この店は片桐がライフル銃を購入した店である。


ロイヤル銃砲火薬店のあった場所

― 前代未聞の渋谷での市街戦 ―
午後5時、片桐は「ロイヤル銃砲火薬店」に入ると、店員の男女3人と女性店員の妹を人質に立て篭もった。
弾薬庫を開け、ライフル銃に弾をこめ、雨戸や天井めがけて乱射した。さらに、人質たちに命じて、次々と店内の銃をもってこさせた。

「豊和M1カービンを持ってこい。こいつは30連発だから弾を30詰めろ」
「次はウインチェスターM100だ、次はレミントンだ」と命じて、各種の銃の試射を楽しむかのように警官隊、報道陣、野次馬らに向けて発射し続けた。
近くを走る山手線30本も開通以来初めての全線ストップとなった。

防弾チョッキ着用の警官7000人、ヘリコプター3機、パトカー延べ330台、装甲車、広報車など延べ60台という大捜査網であった。報道陣のヘリも空を飛び交っていた。
片桐は110番に電話して、パトカーやヘリの音がうるさいから、すぐに退かせろ、そうしないと人質を殺す、と脅した。さらに、女性店員に命じて冷蔵庫からビールを持ってこさせ、あおりながら合計133発乱射した。
警察は5000人近くに膨れ上がった野次馬に被害が及ばないように躍起になった。

午後7時18分、第1機動隊が動いた。5丁のガス銃で催涙弾を「ロイヤル銃砲火薬店」に向け撃ち込んだ。店内は白煙に包まれ、耐え切れなくなった片桐は人質を盾に裏口から飛び出した。
このとき、人質の男性店員が片桐の隙を狙って持っていたライフル銃の銃身で片桐の頭を殴った。片桐は転倒しながらも何発か撃ったが、警官がなだれ込んで逮捕した。

この前代未聞の市街戦騒動で警官や野次馬ら合わせて16人が重軽傷を負った。

逮捕後、片桐は取調べに対して次のように答えた。
「いろんな銃を撃ちまくることができて、たまっていたものを全部吐き出したような気分で、スカッとした。どうせ刑務所に行くんだろうから、代わりにベトナムに行きたい。好きなガンを思いっきり撃つことができるなら死んでもいい」

裁判の結果は1審では無期懲役の判決が下されたが控訴、2審では逆に死刑判決となった。
片桐は1、2審とも、「銃への魅力はいまなお尽きない。将来、社会へ出て再びこのように多くの人に迷惑をかけることのないような刑、死刑にしてほしい」と述べた。

2審の裁判長が片桐の希望を聞き入れて死刑の判決を下したわけではなく、矯正の余地がないと判断して死刑の判決を下した。
1969年(昭和44年)、最高裁では2審の判決が支持され、死刑が確定した。
1972年(昭和47年)7月21日、死刑が執行された。25歳だった。



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