附属池田小事件

2014.12.05.Fri.12:29
2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に突然、刃物を持った男が現れ児童を次々に無差別に刺しはじめた。

これが児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負った「附属池田小事件」である。
犯人は宅間守(当時37歳)。身勝手で人の心を持たない男の行動は日本を震撼させることになる。

その日、大阪教育大附属池田小学校は2時間目が終わり、休み時間に入る直前だった。誰一人としてこの数分後、地獄のような光景が広がるとは思っていなかった。
同校の前には宅間がいた。
宅間は無施錠の自動車専用門から侵入、体育館の前を通って、途中児童達と花壇の方に向かっていた1人の教師とすれ違うが、教師は児童の父兄と思って不審に思わず会釈しただけで声はかけなかった。
宅間はそのまま南校舎に向かう。南後者1階には2年南、西、東の3クラス、同じく1年の3クラスが並ぶ。このうち1年西組は体育の授業で体育館に行っており不在だった。

そして宅間の暴走は始まった。
宅間は南校舎に入ると、手に包丁を持ち、まず2年南組に入り女児ばかり5人を無言で刺した。続いてテラスから隣りの西組に移り児童を襲い、今度は廊下に出てその隣りの東組に入り、ここで4人を襲った。
その後、東組から外に出たところで、タックルしてきた教師(1年南組担任)の胸を刺して重傷を負わせ、その後も教師の「逃げろ!」という声に中庭の方へ逃げていく児童達を追いかけた。
宅間はしばらく追いかけたところで引き返し、再び1年南組に入って黒板の傍にいた4人の児童を切りつけ、ここでようやく教師たちによって取り押さえられた。

「しんどい・・・・しんどい・・・」
その時、宅間はそう呟いていた。

学校の教職員たちは、いったい何人の児童が切りつけられ、どこに倒れているのかすぐには判らず、通報も遅れた。到着した警察も現場のその残酷な光景に目を疑った。
この凶行はわずか10分ほどの出来事(後の学校側の調査では5分)である。
宅間は児童8人を殺害、他児童13人、教諭2人に重軽傷を負わせた。(最初に入った2年南組で児童5人死亡。その隣り2年西組で2人死亡、6人負傷。2年東組で4人負傷。取り押さえられた1年南組で1人死亡、3人負傷)

逮捕された宅間の車の中からは、アイスピック2本、錆びた包丁や鉈も見つかった。
宅間は「阪急池田駅のバス停付近で、100人ぐらいメッタ切りにしてきた」「このところ、ずっと眠れなかった。小学校には行っていない」などと、おかしな言動を繰り返していた。
自宅を調べたところ、精神安定剤など10数種類約200錠の薬が見つかった。それでもあまりの凶悪重大事件であるため、翌日の朝刊では実名で報道された。

そして逮捕からしばらくした頃、「精神障害が重いように装った」と、罪を逃れるために症状を偽装したことを認めた。

宅間は逮捕後に「詐病だった」という供述をしていたものの、実際に多量の薬を服用していたことや、10代の頃から通院歴があったことから、本当に責任能力はあるのかということも疑われはじめた。
だが捜査、公判両段階で行われた2度の精神鑑定では、「人格障害」と診断され、責任能力があることが認められている。

― 世の中のやつは全部、敵 ―
9月14日に殺人、殺人未遂罪などで大阪地裁に起訴。
同年12月27日に初公判があり、検察側が起訴状を読みあげ始めたとき、
「おう、座っちゃあかんかぁ」と宅間は言った。
裁判長が厳しい口調で立って聞くように言うと、睨み返した。
この初公判では起訴事実を認め、「命をもって償う」と言った宅間だったが、後に検察側から「なぜ『命をもって償う』と言ったのか」と問われると、「裁判の判決の新聞記事にそういう言葉がよく出てくるから言っただけ」と言った。

それ以外にも、宅間の発言には次のようなものがある。
「交通事故で大勢の人が死んでいるのと自分の事件は変わりがない」
「道連れは多い方がいいと思った」
「勉強ができる子でも、いつ殺されるかわからないという不条理をわからせたかった」
「幼稚園ならもっと殺せた」
「世の中のやつは全部、敵」
「30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい」
「(被害女児の義父に対して)こら、〇〇!お前、子どもと血ィつながっとらんやないか!おいこら、〇〇、なんとか言えや!」

2003年5月、検察側は宅間が矯正教育を受けた後にこのような凶悪事件を引き起こしたことについて、「本件被害の惨状と多くの家族の悲痛な思いを見るとき、いわゆる死刑廃止論が、いかに被害者や遺族の立場、心情を無視した空疎なものであるかということを実感せざるを得ない」と死刑を求刑。

この後に心神喪失、心神耗弱を主張した弁護団の最終弁論の後、宅間は「死ぬことにはまったくビビっていません」「いままでさんざん不愉快な思いをさせられてきました」「しようもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方が良かったのかもしれません」などと述べた。

8月28日、判決公判。
宅間は「死刑になるんやろ。最後に言わしてくれ」と訴えたが、裁判長はそれを無視。すると宅間は大声をあげた。

「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に生きていたんやな! ほんま、感謝しとる。あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
「おい、くそガキの親!おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ!エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや!せいぜい一生反省せいよ!あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな!」 などと暴言を吐いた。

裁判長は退廷命令を出し、拘置所の職員が宅間を引きずり出した。

この後、裁判長はまず「主文、被告人を死刑に処する」と読み上げ、死刑を宣告。
そして「我が国犯罪史上例を見ない、空前の、そして願わくは絶後の、凶悪重大事犯である」
「理不尽極まりない暴力によって、一瞬のうちに短すぎる人生を絶たれてしまったのである。その無念さに思いをいたすとき、深い哀惜の念を禁じえない」と述べた。

9月10日、弁護団は控訴期限が迫るなか大阪高裁に控訴。だが26日に宅間がそれを取り下げ、死刑が確定した。



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