ヘンリー・リー・ルーカス

2014.12.01.Mon.12:25
ヘンリー・リー・ルーカスは1936年8月23日、アメリカバージニア州ブラックスバーグに生まれた。

母親のヴァイオラはありとあらゆる変態行為をよろこんで請け負うことで有名な売春婦で、父親は事故で両足を失い車イスの生活をしていた。
ヘンリーは11番目の子供であり、ヴァイオラは女児が生まれてくることを期待していた(娘が生まれれば、母娘で売春が出来ると考えていた)。 だがヘンリーが男児であったことに失望する。

ヴァイオラは赤ん坊の頃からヘンリーを虐待した。意味もなく殴りつけ、夜泣きをすれば床に叩きつけ、焼けた針を柔らかな肌に突き刺した。 彼女は今までの子供はすべて施設に預けるか、売り飛ばすかしていたが、なぜかヘンリーだけは育てる気になったらしい。 ヴァイオラは「ヘンリエッタ」と名付けて女装をさせ、暴力行為を繰り返し、しまいには自身の客を家に呼んでヘンリーの前で性交し、それを見るように強要するなど、虐待の限りをつくしていた。 ことあるごとにヴァイオラは、「おまえは、死ぬまであたしの奴隷なんだ」とヘンリーを嘲笑った。 彼女が度を越した異常性格者であったことは明らかである。

ヴァイオラの悪行に耐えかねたヘンリーは、母の喉を自らナイフで切り裂いて殺害した。 彼は逮捕され、第二級謀殺罪により40年の刑を宣告された。 しかし、彼自身は母親が本当に死んだとは思ってはいなかった。 長年ヴァイオラに虐待されたことで、ヘンリーは骨の髄まで母の支配下にあったのだ。

刑務所の中でも、母の声が何度となく響き、ヘンリーに自殺を強要してきた。 もちろん幻聴である。

これによりヘンリーは乖離症状を繰り返し、精神分裂病と診断された。 ヘンリーは自身を診察した医師に対して「セックスの際に相手を殺さなければ絶頂に達することができない」という証言をしている。

ヘンリーは仮釈放を望まなかった。
だが、囚人一人に掛かる年間の費用が多額であったことと、当時のベトナム戦争が泥沼化していたことで、国の財政が逼迫していたことから、司法当局は「更生の見込みのある犯罪者には、可能な限り社会復帰のチャンスを与える」という名目で、早期釈放を推進していた。 収監されてから10年後、ヘンリーは仮釈放されることになった。 獄中で電気技師の資格を取得したことや、大学レベルの教育プログラムを無事修了したことなどが評価されたためであった。 仮釈放委員会で「釈放されたら、自分は必ず人を殺す」と明言していたにもかかわらず、彼は釈放されてしまった。

仮釈放審査の面談で委員のひとりから「君は釈放されたら本当に人を殺しますか?」と尋ねられたヘンリーは「はい。私は釈放されたら間違いなく人を殺します」と言った。 委員たちはこれをジョークと受け取った。 そしてヘンリーは、自らの予言通りに刑務所を出て数ブロックのところで女性を絞殺し、金品を強奪した。

釈放後の1979年、ヘンリーはオーティス・トゥールという男と出会う。 オーティスは下品で野蛮な男であったが、彼と出会ってから紹介されたベッキーという少女にヘンリーは強く惹かれていった。 ヘンリーと行動を共にし、無条件でヘンリーを受け入れるベッキーの髪の毛をといたりするなどして、ヘンリーは彼女を愛し始めた。

彼女に対してセックスは求めず、性的衝動が高まると、別の女性を襲って殺害してからベッキーの元へ戻ってきた。 だが、後にベッキーがキリスト教に目覚めたことがきっかけで2人の間に溝が生まれる。 そしてヘンリーはベッキーを殺害することになる。

その後もヘンリーは殺害を繰り返し、1983年の逮捕時には数えることができないほどの殺人を犯していた。 ヘンリーは約3000件の殺害を自供しているが、一般的に実際に殺害したのは360人程度と考察されている。 ただし、ヘンリーには虚言癖があったとされるためにこの数字にも根拠は無い。

ヘンリーは後にモンタギュー郡拘置所の独房の中でキリスト教に目覚め、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所にて、それまでの罪を進んで自白するようになった。 それは、彼が犯した殺人のために冤罪で逮捕される人を救うためであるというが真実は定かでない。 殺人罪が確定しているのは9件で、物的証拠があるのは2件のみである。

彼の死刑は1998年に執行されるはずだったが、当時のテキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュが、証拠不十分を理由に死刑執行を延期した。

ヘンリーは「ヘンリー・リー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして、鉄格子の中から助言を行っていたが、2001年、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所内にて心臓発作で死亡。 64歳没。遺体を引き取りに来た身内はいなかった。


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