アナタハン島事件

2014.12.04.Thu.12:28
以下の登場人物は仮名とする

―孤立した南の楽園―
1944年、アナタハン島という南国の小島でコプラ園を営むため、崇子が夫と共に移り住んだのは、彼女が23歳のことだった。すでに太平洋の島々は戦火に覆われている激しい時代だったが、この島にはまだそのかげりはなかった。
6月13日、アメリカ軍の爆撃機がアナタハン島に襲来し、島を焼き払った。だが農園の一部とわずかな家畜は残り、取り残された崇子と隣家の上司である菊太郎がなんとか生きていけそうな蓄えは残されていた。

2週間ほどたったころ、命からがらこの島に泳ぎついた31人の日本の男たちが上陸してきた。彼らは爆撃の被害を受けた船団に乗りあわせていた人間で、陸軍、海軍、漁師など様々な立場の人間だった。崇子と菊太郎はこれをこころよく迎えた。心細いこの状況で、同朋と会えたのは大きな慰めであった。

しかし食料はすぐに底を尽きた。彼らは生きるためにコウモリやトカゲを捕らえ、料理は崇子がした。

まずは全員が生きることが最優先で、食べ物を求めるために駆けずりまわる生活に、身だしなみなど関係なかった。まるで原始人のような生活で、男たちはほとんど全裸、崇子も上半身をあらわに腰ミノひとつという姿で島を歩きまわった。

―女の略奪戦―
しかしそんな生活にもいつしか馴れ、余裕が出てくると、たったひとりの日本人の女である崇子をめぐって32人の男たちの争いが始まろうとしていた。

菊太郎が崇子の夫ではないことが判ると、女の争奪戦は表面化してきた。さらに現地人から蒸留法を習ってつくったヤシ酒が、本能に火をつける。

崇子は自分に身の危険がおよぶ恐れを感じ、上司の菊太郎に助けを求めるかたちで同棲を始める。菊太郎も所詮男であり、一緒に住むようになると女を独占する欲望が吹き出し、他の男と口をきいただけで崇子を殴り、蹴りとばした。

崇子は菊太郎の嫉妬と暴力に耐え切れず、岡田と肉体関係を持った挙句、駆け落ちして山中深く逃げだしてしまう。しかし二人は31人の男たちに連れ戻され、男たちの崇子の奪い合いは激化した。

すでに日本は原爆投下され、終戦を迎えていたが、アナタハン島の形を変えた戦いは続いていた。

1946年、崇子は山中でB29の残骸を発見し、食料や水を手に入れた。知らせを聞いた男たちは喜んで物資を分けた。

しかし、それとは別に拳銃が3挺見つかった。3挺のうちひとつは銃口が詰まっていて使えなかったため、残る2挺は銃器に詳しい佐々木と、その親友の田口が管理することになった。

―悲劇の撃鉄―
まず日頃から崇子にしつこく言い寄っていた野村が、ちょっとしたいさかいで佐々木に射殺される。まわりの男たちは佐々木を非難したが、銃を取りあげたりはしなかった。佐々木は銃をかざして独裁者気取りになり、あからさまに崇子にべたべたするようになる。

ある日、佐々木は崇子に
「俺の女になれ。ならないなら、菊太郎は殺す」
と脅した。

崇子がそれをそのまま伝えると菊太郎はふるえあがり、
「あいつのとこへ行け。俺は殺されたくない」
と言い放った。

同じ部屋の中で崇子は、佐々木、田口、菊太郎との4人での生活をすることになる。しかし不自然な関係が長く成立するはずもなく、口論の末、田口が佐々木を撃ち殺した。

生命の危険を感じた菊太郎は、先手を打って崇子を品物のように田口に譲りわたした。その約3ヵ月後、田口は不審死をとげる。

拳銃2挺は遠藤という男に渡る。今度は崇子、菊太郎、遠藤の3人の生活が始まった。その1ヵ月後、遠藤は菊太郎を射殺した。

一人の女をめぐり島には不穏な空気が満ちた。もはや銃を持つ者が崇子をものにできる権利があり、殺すか殺されるか、という一触即発の雰囲気であった。だがまもなく、遠藤も不審な溺死をする。

この異常な事態の収拾のため、長老格で発言権のあった福森が、
「崇子さんに正式な夫を選んでもらおう。そしてみんなでこれを祝福して、もう邪魔はいっさいしないと約束しあおう」
と提案する。

崇子はもう男はこりごりだったが、仕方なく最初に駆け落ちした岡田を選んで結婚した。拳銃はみんなの承諾を得て、海中深く沈めた。

しかし文明から遠く離れた男たちにとって、崇子をあきらめることなどできなかった。獣性をあらわにした男たちは新居を覗き見、うろつき、岡田のいないところで崇子を追いかけまわした。

限界を感じた崇子は一人で逃亡した。もう耐えられなかったのである。男たちは崇子をアメリカ軍に獲られてなるものかと、狂ったように島中を探しまわったが、ついに彼女は逃げおおせた。

1950年、既に終戦から5年が経っていた。アメリカ海軍船「ミス・スージー」は腰ミノひとつで白い布を振って、しきりに助けを求めている崇子を発見する。このとき彼女は28歳になっていた。

帰国した崇子を待っていたのは、暖かい慰めの言葉ではなく「アナタハンの毒婦」という猟奇的な恣意だった。真実は、興味本位のマスコミと大衆によって完全につぶされ、翻弄された挙句、戦争の犠牲者として扱われなかった。

崇子は、失意のうちに故郷へ帰った。


関連記事
コメント

管理者のみに表示