ルース・エリス

2014.11.14.Fri.18:28
モリース・コンリーは、ウェストエンドにいくつものナイト・クラブを持つやり手の経営者だ。

そのうちの一つにキャロルという店があった。そこに北ウェールズ出身で離婚歴があるルース・エリスという女が雇われる。
彼女は、既婚のフランス系カナダ人と叶わぬ恋仲になったり、マンチェスター出身の飲んだくれの男と結婚した後に暴力を振るわれたり、あまり男運の良い方ではなかった。子供を養うためにソーホーのカメラクラブでヌードモデルの仕事をするなど、職業を点々としながらロンドンのキャロルに流れ着いた。

ここでの働きをオーナーのモリースに認められ、リトル・クラブの支配人となる。このクラブは、常連客のみ二階でスペシャルサービスを提供するナイトブリッジ(売春宿)である。

1953年9月、リトル・クラブに色男で有名なデヴィッド・ブレイクリーがやってくる。

イギリスでは、ロンドンのどの地区に住んでいるかで身分が判ってしまう。デヴィッドの実家は、ロンドン北部の高級住宅地ハムステッドにあった。しかも彼自身、名門パブリックスクール出のアッパーミドルクラスの人間だった。

ルースに対するデヴィッドの最初の態度は、全く正しいアッパーミドルクラスで
「こういうところって売春もするんだろ?」

こんな見下した感じのデヴィッドにルースは好感を抱かなかった。

数週間後、偶然二人は街中で再会する。

―危険な恋―
デヴィッドの印象は第一印象とはまるで違っていた。しかも、よく見ればハンサムでお金持ちのボンボンで、職業はカーレーサーだというではないか。

ルースは手のひらを返したようにデヴィッドに惚れた。もちろんその日のうちに2人は、肉体関係に落ちる。それからも関係は続くが、結婚についてデヴィッドにその気はなく、軽くはぐらかしていた。

1953年11月11日、ルースとベッドを共にした1ヵ月後にデヴィッドはヨークシャーの資産家の娘と婚約し、ルースは彼の本心がようやくわかり、嫉妬で狂い始める。

悲しい抵抗なのかデヴィッドにヤキモチを焼かせるために、彼女はデヴィッドの目の前で常客に色目を使い、彼の気を引こうと必死になる。それでもデヴィッドは馬耳東風で、ルースのクラブでタダ酒を飲み、毎晩のように乱痴気騒ぎを繰り広げた。

これは、デヴィッドの気を引くことに成功する前にオーナーの逆鱗に触れ、ルースはクラブをクビになってしまう。

この一件で手を差し伸べてくれたのがデズモンドだった。
「行くところがないなら、うちに来るがいい。お小遣いもあげよう。」

―募る嫉妬―
結局これが決め手となり、この期に及んでようやくデヴィッドが嫉妬して「結婚してくれ」という言葉をルースは引き出すことに成功する。

二人はアパートを借りて同棲し始めたが、家賃を払っていたのは、デズモンドだった。

やがてルースはデヴィッドの子なのかデズモンドの子なのか判らない妊娠をする。激怒したデヴィッドは、ルースの腹を殴り、そのせいで子供を流産してしまい、この件以降、デヴィッドはルースを避けるようになってしまう。

1955年4月8日金曜日、デヴィッドはルースとの食事の約束をすっぽかし、友人のアパートにいた。ルースから電話があったけれど、友人は「デヴィッドはいない」と居留守を決め込む。

女の直感でそれが嘘だと見破ったルースは、友人のアパート前に降り立ち、デヴィッドの車を見つける嫉妬を叩きつけるように、すべての窓を叩き割った。これで二人の破局は決定的なものになる。

1955年4月10日夜9時頃、イースター・サンデーのこの日、乱痴気騒ぎを繰り広げているアパートから追加のビールを買い出しに出かけようとするデヴィッドを呼び止める声がした。

その声に振り返ろうとするその体に鉛の玉が2発撃ちこまれた。発射されたスミス&ウェッソンの38口径を握っていたのはルースだった。彼女は通りに倒れたデヴィッドに近づき、弾がなくなるまで引き金を引き続けた。

動かなくなったデヴィッドの側に佇むルースは、
「警察を呼んでちょうだい」
と静かにつぶやいた。なにかを済ませたというその姿は、毅然としていた。

―女囚最後の死刑―
1955年6月20日、ルース・エリス事件の公判は、ロンドンの中央刑事裁判所で開かれた。裁判における争点は「謀殺か故殺か?」であったが、弁護士の「嫉妬に基づく衝動的殺人」という主張を無視して、ルースは「彼を殺すつもりでした」と殺意を自ら認めた。彼女は死刑を望んでこの犯行に及んだのだ。

ルースに銃を与えたのは、デズモンドと推測されたが、その点は明らかにされなかった。

それからわずか3週間後の1955年7月13日、ホロウェイ刑務所で絞首刑が執行され、20世紀15人目にして最後の女性死刑囚となった。



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