梅田事件

2014.09.01.Mon.07:00
昭和25年10月10日、北海道北見営林局会計課の小山正雄さん(当時20歳/仮名)が公金19万円を待ったまま失踪した。

営林局の通報で北見市警(当時)は小山さんが「公金を横領」したと見て行方を捜索。しかし小山さんの行方はまったく掴めなかった。
その8ヶ月後、今度は留辺蘂営林局会計課の大林三郎さん(当時28歳/仮名)が480万円を持って失踪した。
この2つの失踪は「横領逃亡」として処理されるところだったが、2年後の昭和27年9月、野犬が射殺体の大林さんを掘りだしたことにより事件は一変することになった。
また同時に小山さんも殺されている可能性があるとみた市警は捜査を開始した。

大林さん殺害の捜査で身辺調査をしたところ、清水(当時53歳)という男を容疑者として逮捕した。
清水は素直に犯行を認め、首謀者は羽賀竹男(当時28歳)であることを自供した。
そこで、市警は同年9月17日に羽賀を逮捕し事情聴取を行ったところ小山さん、大林さんの殺害を自供した。

これで事件は解決すると思われた。しかし事件は思わぬ方向へ進展することになる…

― 第3の実行者はいたのか? ―
羽賀は逮捕後、小山さん殺害の実行者は清田義光(当時28歳/仮名)であると犯行を清田になすりつけた。羽賀と清田は軍隊時代の顔見知りというだけの間柄だった。

北見市警は羽賀の供述通り、10月2日に清田を逮捕、凄まじい拷問をかけた。
複数の警察官が殴る蹴る、警棒のひもを手首に巻きつけて引っ張る、正座している両足のふくらはぎに警棒を乗せて踏みつける、指の間に鉛筆を挟んで締めつけるなど暴行の限りを尽くした。
この拷問に肝を潰した清田は逮捕の翌日犯行を自白した。

清田は拷問を受けながらも、犯行を認める自供から一転し、無実を訴えた。しかし検事は否認調書もとらず、昭和27年10月25日、清田を強盗殺人で起訴した。
昭和29年7月7日、釧路地裁網走支部は清田に無期懲役、羽賀に死刑判決。昭和31年12月15日、札幌高裁は控訴棄却して一審を支持。
昭和32年11月17日、最高裁は上告を棄却。これにより清田の無期懲役、羽賀の死刑が確定した。尚、羽賀は昭和35年に死刑執行。

清田は獄中から無罪を主張し再審請求を続けるが棄却される。昭和46年5月1日網走刑務所から仮出所。逮捕から18年7ヶ月ぶりの社会復帰であった。
それでも清田の無罪を求める信念は変わらなかった。
清田は大工、廃品回収業をしながら再審請求活動を続ける。支援者に支えられながら冤罪を訴える清田に昭和57年12月10日釧路地裁は再審を決定。
昭和60年2月4日、札幌高裁は検事側の即時抗告を棄却。昭和61年8月27日に釧路地裁は清田に無罪判決。逮捕以来34年ぶりに清田の潔白が立証された。

無罪判決の理由として、小山の頭部を殴った凶器のバットと被害者の衣類は羽賀が焼却。頭部を刺したとされるナイフは未発見。絞殺に使用されたとする麻紐にも決め手が無く、犯行を清田に結びつける物的証拠は無い。逆に、清田が着ていた服には血痕が見当たらないこと、自白と犯行模様の決定的違い、元服役囚の「羽賀から清田は事件に関係ないと聞かされた」という証言など無実を証明する物的証拠が多々あったことによる。

羽賀は生前、犯行は清田と3人で共謀したと証言したという。この事件の背後でもう一人の男が見え隠れしているのだ。
この男は羽賀の血縁関係にある人物と噂されたが、羽賀の死刑によって事件の全容は完全に封印されてしまった。

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