新宿西口バス放火事件

2014.09.01.Mon.09:26
1980年8月19日(日)21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番乗り場で、発車待ちのため停車中だったK帝都電鉄(現・K電鉄)の運行する中野車庫行きバスの車内に、男が後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを持ち込み、車両後方へ投げ込んだ。

火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。



新宿駅西口バスターミナル

火をつけた男はすぐさま逃げ、地下道入り口付近でうずくまっていたが、通行人らによって取り押さえられ、まもなく駆けつけた警察官によって逮捕された。
逮捕された男はM(当時38歳)。 Mは事件当夜、駅前広場に通じる階段に座って酒を飲んでいたところ、何者かにここから出て行けと言われ、カッとなって犯行に及んだ。

M(当時38歳)は北九州市で5人兄弟の末っ子として生まれた。
父親は定職を持たないアルコール依存症で、親が教育に無理解であったため小学5年生ごろからほとんど登校していなかった。犯人は父親の病死を機に建設作業員として全国を転々とする。 1972年に結婚するも、妻が長男を出産した翌年に離婚。子供を児童施設に預けて毎月仕送りを欠かさずに、各地を転々としながら現場作業員として働いていた。

― 惨劇の後で ―
犠牲者の中には、当日後楽園球場で行われた読売ジャイアンツとヤクルトスワローズの試合を観戦した帰りの父親(40歳)と息子(8歳)がいた。この事件を聞いた後楽園球場を管理する株式会社後楽園スタジアムと巨人軍が告別式に花を贈ったこと、王貞治が祭壇にサインボールを供えたことが日本全国に伝えられた。

死亡した被害者には、子供の運動靴を買うため勤務先から帰宅途中、たまたま新宿に立ち寄り事件に遭遇した母子家庭の母親がいた。通常帰宅経路から離れた場所で事故等に遭遇した場合は通勤災害は認定されないが、このケースでは当時の労働大臣の発言もあって労災が認定された。

またK帝都電鉄では、自社の落ち度でなかった事件ではあったが、全社員に輸血を呼び掛けたり、医療費の一時立て替え等の措置を全社あげて行った。

刑事裁判において検察側は、建造物等以外放火罪と殺人罪で起訴。刑法108条の現住建造物等放火罪では「放火により、現に人が住居に使用しまたは人がいる建造物、汽車、電車、船舶、鉱坑を焼損する罪」と規定しているが、この条文に「バス」は明記されていない。
営業バスは多数の人が乗車することが想定されているため、バスを汽車や電車に準ずるものとして刑法108条の現住建造物等放火罪を適用すべきとする意見もあったが、判例がなく学説も分かれているため刑法110条の建造物等以外放火罪で起訴された。

検察側はMに死刑を求刑したが、一審の東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。
弁護・検察双方が控訴したが、二審の東京高等裁判所も一審判決を支持。犯人は罪の重さを認識してか「死刑になってみんなにお詫びしなければ」と語っており、死刑になると考えていたが、無期懲役=無罪と勘違いしたのか、「罪にならないんですね」と言った後で傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座した。

Mは1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55歳。
関連記事
コメント

管理者のみに表示