チャールズ・ハッチャー事件

2014.09.21.Sun.07:44
チャールズ・ハッチャーは、前科のある大酒飲みの父親と、精神不安定な母親との間に末っ子として生まれた。
父親には肉体的に虐待されたが、母親には溺愛されて育った。ふたりとも、子供の躾や教育にはまったく不向きな人間だったので、彼らの子供らはみんな情性欠如者か、前科者になった。

末っ子のチャールズ・ハッチャーは特に顕著で、既に18歳から窃盗などの犯罪で刑務所と娑婆の往復で過ごしている。

―殺人の系譜―
1947年、盗みなど軽犯罪を重ねる。

1959年、新聞配達の少年の誘拐未遂で逮捕される。

1961年、州立刑務所で服役中に若い囚人をレイプし殺害。ただし、証拠不十分であったため起訴はされなかった。

1969年、カリフォルニア州サンフランシスコで6歳の少年をレイプした。

1977年、彼は釈放された。翌年彼は、ミズーリで6歳の少年を殺した。

1978年、ネブラスカ州で16歳の少年をレイプしている。

ハッチャーは刑務所の入所と出所を続け、釈放されては事件を起こした。

1980年、彼は7歳の少年を暴行傷害、また17歳の少年をレイプして怪我を負わせた。

1981年、11歳の少年を誘拐しようとしたが、未遂に終わった。

1982年、彼は11歳のミッシェル・スティールを暴行殺害した罪で逮捕される。殺人罪では初めての逮捕であった。彼は取り調べに協力しなかったため、自白剤を用いられて供述させられた。

その後拘留状態となったが、そこで唐突に、1978年の殺人を告白した。1983年、裁判では全ての罪を認めた。

1984年 - 死刑を希望したが終身刑の判決が下る。判決後、ハッチャーは「おれが殺したのは全部で16人だ」と自供した。

しかし、殺人罪で有罪宣告を受けたのち、自分の犯行のすべてを打ち明けるという約束をやぶって、独房内で首を吊って自ら命を絶った。

―闇に消えた真実―
典型的な社会病質者であったハッチャーの生涯は、塀の中と外の往復だった。

定職に就かずに各地を放浪し、衝動的に性犯罪を犯してすぐに逮捕されるが、刑務所行きを避けるために精神異常を装い精神病院へ送られ、そこの医者を騙して短期間で仮釈放や退院をする。

隙を見つけて脱走することもあった。また、複数の偽名と複数の社会保障番号を持っており、その名義で服役や入院していたため、ハッチャーの人生行路の正確な足取りは今もって不明である。

このため、明らかになっている5人以外にも、ハッチャーの手にかかった犠牲者が多数いると思われる。事実、彼自身も取り調べにあたったFBI捜査官への手紙のなかで、少なくとも16人(ほぼ全員男性)を殺害したと認めている。
関連記事
コメント

管理者のみに表示