上野・消火器商一家5人殺害事件

2014.10.02.Thu.11:39
1974年2月、東京都台東区の「消火器卸商・K製作所」で、Kさん家族4人を含む5人が、鈍器のようなもので頭を割られて殺されているのが発見された。打撃で死にきれなかったらしい者はさらに絞殺されていた。
家族ではない5人目の被害者は、偶然居合わせていた鉄道職員で、事件に巻き込まれたものと考えられた。

現場には遺留品が多かったため、T(当時36歳)が容疑者として浮かび上がり、指名手配される。Tは過去に逮捕歴が5回あった。

指名手配から30日後に彼は逮捕されたが、「長年の恨みをはらしました。」という供述の際には顔色ひとつ変えず、悔悟の言葉を洩らすこともなかった。

―愚鈍―
Tは5人兄弟の第4子として生まれた。

父親は僧侶だったが、なぜか寺を捨てて炭鉱夫となり、その後肺結核で死んでいる。母親は子供を親戚にあずけて上京し、住み込み女中として働く。

母が再婚して引き取られたとき、Tはすでに7歳になっていた。

12歳のときに窃盗で逮捕されるが、「IQ60の愚鈍」と判定され、医療少年院送りとなる。特に日常生活には問題がなかったため、IQが低かった原因は、ほとんど学校教育を受けていないことが原因のようでもあった。

継父は文盲同様で計算もできないTを案じ、16歳になると見習いとして自分の仕事回りに同行させている。

腕のいい消火器のセールスマンだった継父は、K製作所から商品を仕入れて売り歩いていたのである。消火器は儲けが大きく、当時は花形商売だった。

しかしK製作所が、直接販売をするようになって事情は変わる。老いて病んだ継父は、得意先が減る一方だと嘆きながら死んでいった、とTは警察で供述している。

―継父の恨み―
継父を失ってからは、メッキ工や鳶職をしたが長続きしなかった。K製作所の継父への仕打ちは恨みとして彼の中に溜まっていった。

彼は「Kは小金を貯めこんでいる。」と吹き込んで共犯者を得ると、製作所にハンマーを握り、K製作所に乗り込んだ。

逮捕されたときに持っていた犯行動機の手記には次のような内容が書かれていた。

「Kさんおれのとうさんのときからのうらみだ。 おやこ二第(代)だまししょうばいするのはやめろ。 25年のうらみだ。 なんかいもいうたがだめ。 よくばりのIさん(息子)もがまんできない。 バカをおこらせた×(罰)。 かあさんに300まん円くらいためてあげたい。T。さよなら母さん」
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