ジョン・ジョージ・ヘイグ

2014.10.15.Wed.11:42
1949年2月20日、老婦人と共にジョン・ジョージ・ヘイグがロンドン市警察に訪れた。同じホテルに宿泊しているオリーブ・デュランド・ディーコン夫人が一昨日から行方不明だという。
老婦人はディーコン夫人と親しい間柄で、ディーコン夫人はジョンが経営する工場に投資するかどうか彼と一緒に見学に出かけたまま帰ってこないと説明した。
ジョンは老夫人の話を補足するように、ディーコン夫人は来なかったということを付け加えた。

ジョンの言動に違和感を覚えた捜査員が記録を調べてみると、彼は前科者で過去に詐欺や窃盗で3度も服役していたことが判明した。

警察は直ちにサセックス州にあるジョンの工場とは名ばかりの倉庫を捜査すると、38口径のピストルと実弾、ガスマスク、ゴム製エプロン、ゴム手袋、ゴム長、特殊なガラス瓶、ドラム缶、女性のバッグや靴などを発見した。

後日、聞き込みでジョンがディーコン夫人の宝石やコートを売り払っていた事実を突き止め、ジョンに詰問すると、彼は笑顔でこう言った。

「彼女を殺したのは私ですが、ディーコン夫人を硫酸で跡形もなく溶かしてしまったから、殺人事件として立件できませんよ。」

ジョンは死体が出なければ警察は事件を立件できないと思い込んでいて、他の女性たちもディーコン夫人同様に殺害後、ドラム缶の硫酸で処理していたとも告白した。

― 完全犯罪の崩壊 ―
ジョンは警察の捜査に協力的で、自ら犯行の一部始終を話した。しかし、彼は大きなミスを犯していた。酸によって完全に人体が消滅するものとばかり思っていたジョンは、人体を溶かした液体を、遺留物の発見が困難になる下水や海などに流すことなく、ドラム缶を転がして移動させ、中の硫酸と液体を庭に遺棄していたと得意満面な顔で自供していた。

この供述から警察は、倉庫内から庭までドラム缶が転がされた跡を綿密にたどっていき、遺棄した地点を特定し、その付近の地面を徹底的に調べ上げた。するとわずかながら硫酸が溶かしきれなかった人間の脂肪や人骨、胆石、入れ歯などの遺留物を発見することができた。

歯科医によりディーコン夫人の入れ歯であることが証明され、ジョンは逮捕された。完全犯罪は崩れ去り、遺体は発見された。

公判中もジョンはわずかな証拠しか発見できなかったことで死刑になることはないと気楽に思っていたようで、裁判中にもかかわらず、クロスワードパズルに熱中したりしていた。
この事件で注目の的となったのが、「被害者の血を飲んだ」というジョンの発言である。「彼は吸血鬼なのか?」ということで話題になったが、もちろん刑を逃れるはずはなく、精神異常を装うための嘘だとされた。

陪審員は全員一致で死刑判決を出した。
1949年8月10日、ジョンはロンドンのワンズワース刑務所で絞首刑となった。

― 吸血鬼の告白 ―
彼が処刑される直前に記した「吸血鬼の告白」には以下のような告白がある。

1944年の復活祭の日、私の運命を決定付ける事件が起きた。サセックスへの旅行中にトラックと衝突事故を起こした私は、頭に重症を負った。
自らの血を飲んでしまった。その夜に夢を見た。

私は十字架の森をさまよい、十字架は次第に樹木と化してゆき、その枝々からは血が滴り始める。そこで一人の男が盃を持って血を集めていて、一杯になった盃を私に差し出し、「飲みなさい!」と言われた。私が手を差し出すところで夢は終わった。

それから私はよくこの夢を見たが、盃に手を差し出したところでいつも目がさめてしまう。手に入れることの出来ない盃の為に、私は恐ろしい渇きにとりつかれるようになった。

犠牲者から血を吸っていたことを供述したため、後に彼は「ロンドンのヴァンパイア」と呼ばれた。


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