大阪愛犬家連続殺人事件

2014.10.16.Thu.11:42
大阪府八尾市の浦野武士(仮名・逮捕時39歳)の実家は裕福な酒屋である。浦野は30歳のときに、友人に頼まれて7000万円の借金の保証人になったが、その友人が姿を消してしまい、7000万円を払わなければならなくなってしまった。

親に泣きついてようやく7000万円を払うことはできたが、両親は浦野を被保佐人(判断能力が著しく不十分である者)としてしまった。そのときから、浦野の性格がガラリと変わってしまった。

浦野は犬が好きだった。両親から被保佐人として見捨てられてしまってからは、人間と話をするよりは飼い犬と一緒に時間を過ごす方が楽しいと思えるようになってきた。犬が好きだから、獣医の所によく通った。ある日、獣医と雑談をしていると、「子犬がもういらなくなったので、殺してほしい」と頼みにきた人がいた。獣医は気軽に、その子犬に筋肉弛緩剤を注射すると、子犬は苦しむことなく死んだ。それに、興味を抱いた浦野は口実をもうけて、その獣医から筋肉弛緩剤(塩化スキサメトニウム2%溶液2ミリリットルアンプル剤)を分けてもらうことに成功していた。

また、浦野は以前、警察犬訓練士の知人から、その仕事の内容の概略を聞かされていた。専門的知識も経験もないが、畜犬業で金儲けをしようと考えた。そこで、長野県塩尻市内の農地を、犬の繁殖場と訓練所をつくる目的で借りた。施設の建設、運営には金がかかる。浦野は「犬の訓練士」と称して、業界誌に広告を出し、出資者を集めたり、犬を散歩させている人に声をかけ、訓練や繁殖の勧誘をしたりして、営業努力を続けていた。

牧瀬学(仮名)・・・1992年(平成4年)5月、大阪府堺市の無職の牧瀬学(25歳)は預かった犬を散歩させていた浦野と偶然出会った。浦野とは以前、ある物流会社で一緒にアルバイトしていた仲だった。お互い、独身ということもあって、よく一緒に飲みに行ったりした。牧瀬には、多少の同性愛的傾向があり、浦野と飲みに行った際にそのことを浦野に打ち明けたが、そのことでアルバイト先の職場で「牧瀬はホモだ」などと言いふらされたことがあった。そこで、牧瀬はこの日、浦野に対して「悪口を言いふらすな」と文句を言った。浦野はそんな覚えはないと反発、あやうく殴り合いになりかかった。怒りは殺意にまで高まっていた。7月、牧瀬は仲直りを口実に浦野から呼び出されると睡眠薬入りの酒を飲まされ、腕に筋肉弛緩剤の注射をされた。

豊田正和(仮名)・・・1991年(平成3年)秋頃、大阪市の無職の豊田正和(35歳)は犬の雑誌を通じて、浦野と知り合い、交際を続けていた。1992年(平成4年)7月、浦野の銀行口座に30万円を振り込んでいて、同じ頃、浦野と塩尻の訓練所予定地を訪ねていた。そして、8月頃、別れた妻に電話したのを最後に姿を消していた。

三浦愛(仮名)・・・1992年(平成4年)10月頃、大阪市の主婦の三浦愛(47歳)は、動物病院で浦野と知り合ったようだが、1993年(平成5年)、三浦は銀行から80万円を借り入れていて、10月25日以降、行方不明になっていた。

前田陽子(仮名)・・・1991年(平成3年)9月頃、大阪府堺市の主婦の前田陽子(47歳)は犬の散歩をさせているとき、浦野に声をかけられて知り合い、1992年(平成4年)10月頃、浦野から子犬を届けてもらっていた。10月29日、自宅にメモを残して失踪していた。

小泉邦夫(仮名)・・・1991年(平成3年)8月頃、大阪市の土木作業員の小泉邦夫(22歳)は、浦野とアルバイト先で知り合った。1992年(平成4年)7月27日、小泉は知人に「アルバイトに行く」と外出し行方不明になっていた。

警察庁はこの一連の失踪事件を、広域重要「120号事件」に指定、関連府県警に合同捜査を指示した。

1994年(平成6年)1月26日、浦野が逮捕される。厳しい追及に、浦野は間もなく連続殺人事件を自供したが、動機は単純きわまりないものだった。

豊田と三浦は出資金のトラブルからで浦野にお金を預けたものの、いつまで経っても、浦野がペット店や訓練所を開設準備を行おうとしないので、浦野に対し、出資したお金を返すように迫っていた。前田は車に隠しておいた三浦の遺体を見つけられそうになって殺害。小泉は浦野に頼まれて犬の面倒を見たときの手伝い料の未払い分を催促していた。いずれも、筋肉弛緩剤を注射し、遺体は塩尻の訓練予定地に埋めていた。

1995年(平成7年)2月10日、浦野の供述により、塩尻市で5人の遺体が発見される。

浦野は筋肉弛緩剤が体内に入ると分解し、殺人の証拠が消滅してしまうことを知っていた。浦野は裁判で自白は警察の暴行によるものとして無罪を主張していた。

1998年(平成10年)3月20日、大阪地裁で、死刑の判決。浦野が控訴。2001年(平成13年)3月15日、大阪高裁は控訴を棄却した。浦野は上告した。2005年(平成17年)12月15日、最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。



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