K学園監禁致死事件

2014.10.21.Tue.11:43
1991年7月29日午後9時、警察へ「姫路市の会社員の長男(当時14歳)と三原市の自営業の長女(当時16歳)がコンテナ内で熱射病で死亡している」との電話があった。
通報は、広島県三原市の情緒障害児更生施設「K学園」からであった。

波穏やかな瀬戸内海に浮かぶ小島(当時の住民はわずか26名だった)にあるこの施設は、不登校もしくは問題行動をする児童や生徒の更生が目的であったが、実態は教育施設とは名ばかりの虐待施設であったと後に暴かれる。

前日の28日午前1時ごろ、喫煙したことに対する戒めとして、2人の入園者が「教育的見地」から、同施設内にあった鉄製のコンテナに手錠でつながれて監禁状態にされた。

学校は夏休み中で、炎天下にコンテナ内に44時間もの長い時間、監禁されたために脱水状態に陥って死亡した。

―冤罪―
死亡した生徒が入園する前に通っていた姫路市の中学校では、約1年前から校門で教師らが生徒の服装の乱れなどをチェックする取り組みが熱心に行なわれるようになっていた。

ある日クラスの積立金の紛失事故が起こり、学校内の不良グループと付き合い始めていた少年に、勝手な思いこみから担任教諭が疑いをかけ、それに逆上した少年は教諭を殴打してしまい、警察や家庭裁判所の調べを受けることとなる。

学校は生徒の非行に頭を抱えていた。この学校は当時、生徒指導の研究モデル校の指定を受けていたが、学校の組織体制や教育手法の改善よりも、問題を起こす少年は民間施設に入れて、学校から切り離すことが良いという方針だった。

このルールに従って、問題を起こす生徒は京都府や香川県の民間施設や児童福祉法に基づく児童自立支援施設(当時の呼称では教護院)である兵庫県立M学園に送られている。

K学園もその一つであった。
学園長は入園者を集めるため、姫路市の少年愛護センター職員が視察のため学園を訪れた際は、広島県尾道市内の店で酒食の接待を行なっている。

姫路市側は学園内を視察したが、宿泊施設等は視察せず、学園側の説明を聞くだけだった。問題のコンテナの存在には全く気づいていなかった。

―責任の所在―
死亡した少年の遺族は、施設の実態を調べずに紹介した姫路市教育委員会が少年の死について法的責任を負うべきであるとして、姫路市を相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

一方市側は、少年の入園は遺族が自発的に決定したものとして、市には全く法的責任が無いと表明する。

1997年11月17日、一審の神戸地方裁判所姫路支部は、教育委員会の担当指導主事が入園を強く勧めた事実を認定した。

1998年12月11日、控訴審の大阪高等裁判所は、原告勝訴の判決をしたが、被告の姫路市はこれを不服とし上告した

1999年10月1日、最高裁判所はこれを棄却し、姫路市の敗訴が確定した。また学園長の男性(当時67歳)は、監禁致死罪でが起訴された。

公判の中では、少年がまもなく退園する予定であり、減収を防ぐため退園させない口実づくりとして、わざと煙草を置いたことが明らかとなった。教育者として不適格な振る舞いである。

1997年7月15日、一審で学園長に懲役5年の有罪判決が下される。控訴、上告いずれも実刑判決が下され、刑が確定した。

元学園長は服役後の2001年10月に女子高生への猥褻行為により広島県警に逮捕される。

2002年6月、広島地方裁判所で懲役2年の実刑判決を受ける。

事件後、K学園は放置され、20年経過した時点でも事件の舞台になったコンテナは残っているらしい。


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