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マリアンネ・バッハマイヤー事件

2014.10.22.Wed.11:43
クラウス・グラボウスキーが初めて逮捕されたのは、1970年だった。容疑は、幼児に対する性的いたずらであった。その時は精神医にかかることを条件に釈放された。
1975年、グラボウスキーは幼女をアパートで服を脱がせていたずらしようとすると泣き出したので、口を手でふさぐと窒息したのか幼女はぐったりして動かなくなってしまった。

慌てて水をかけると息を吹き返し一命は取り留めたが、この件で逮捕された彼に対して裁判所は「このまま外界に放つには危険な患者であり、収容施設で保護観察下のもとに生きるべき」という審判を下だす。

収容施設から釈放されるためには、睾丸除去手術を受けなければならなかった。精巣を失うと99%の患者が性衝動を失うと言われている。しかし釈放後の彼は、更生するようなことは全くなく危険な小児性愛者として犯行を繰りかえす。

グラボウスキーは性衝動を失わない「例外の1%」の患者だった。その後、彼は前の失敗を踏まえていくらか狡猾になり、隠れてホルモン注射を打って勃起能力をかなりのところまで回復させていた。

1980年5月、グラボウスキーは近所の7歳の女の子アンナを「おじさんちの猫と遊ばないか」とアパートに誘い、レイプして絞殺した。

警察は、性犯罪者のリストから彼の前科を探し出し容疑者として捜査した。そして睾丸除去手術が彼の性衝動を失わせていなかったことを突き止め、彼を逮捕した。

尋問の結果、グラボウスキーはアンナを殺して埋めたことを自白した。

―容疑否認―
1981年3月3日、グラボウスキーの裁判がはじまった。法廷での検事の追求をのらりくらりとかわす。

「俺はもう子供に興味なんかありません。俺はただ遊んでやろうとしただけなのに、あのガキは、誘拐されたとか騒いで、俺から金をせびろうとしたんです。俺は前科のこともあるし、動揺してつい首を絞めてしまったんですよ」

しかしアンナは、彼女が身に着けていたタイツで絞め殺されている。

―意外な死刑執行人―
3月6日、2度目の審問が行なわれた。グラボウスキーは被告席に腰をおろした。

そのとき、女が法廷を堂々と早足で横切ると、被告のグラボウスキーに近づき、22口径ベレッタの弾丸を彼の体に叩き込んだ。アンナの母親であるマリアンネ・バッハマイヤーだった。

グラボウスキーは即死した。マリアンネは彼が死んだことを見てとると、銃を捨て、静かに両手を挙げた。

―罪の重さ―
旧ナチスのSS将校の娘として生まれたマリアンネは、第二次世界大戦の敗戦後、酒に溺れた父親に愛想を尽かした母と共に家を出る。その後母親は再婚したが、マリアンネは義父とそりが合わず、反目し合った。

9歳のとき見知らぬ男にいたずらされ、16歳で妊娠して家を飛び出す。18歳でふたたび妊娠するが、出産前に近所の男にレイプされる。

その男に下された判決は、たった1年半の刑だけだった。彼女はグラボウスキーも大した罪には問われないであろうことを知っていた。

司法はこの男にふさわしい罰を与えはしないだろう。娘の死への償いは、私がこの手で下すほかはないと思ってマリアンネは引鉄をひいた。

この殺人に対して社会の同情は彼女に集まった。マリアンネは殺人罪に問われたが、判決は異例の軽さの6年の実刑だった。
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