カール・デンケ

2014.10.23.Thu.11:43
1924年12月21日深夜、ミュンスターベルクの地主カール・デンケの召使は、助けを求める男の叫び声に眼を覚ました。
召使は主人に何が起きたのかと心配して階下に急いで降りてみると、意外なことに彼の眼に飛び込んできたのは、浮浪者の脳天に斧を振るう主人カールの姿であった。

警察が屋敷内を捜索すると、12人の浮浪者の身分証明書や彼らの衣服、そして塩漬け肉の入った樽と骨や脂身を入れた瓶が大量に発見される。
この屋敷の主人カールは逮捕された。

カールはいくつもの借地や農地を所有する大地主で、地元では「パパ・デンケ」の愛称で皆から愛された町の名士だった。日曜のミサでは教会のオルガンを弾く信心深い人間だと信じられていたので、大量殺人の犯人であることは皆にとって驚きだった。

彼なりの論理がはたらいたのだ。

「供給が不足すれば価格は上昇する。しかし私は高いものは買いたくない。町の人々も同じだろう。ならば、私が供給を作ればよい。さすれば価格は下がり、私も潤う。町の人々も喜び、一石二鳥である」

しかし、家畜は戦争で処分され、兵士の食料として戦地へ送られ、品不足の状態だった。そこで肉不足の問題を解決するためにはと考えていたところ、彼の目に止まったのは、大量にいる浮浪者だった。

― 試作品のモニター ―
1921年~24年の間、カールは安い肉を安定供給するという目標を達成するために50人もの浮浪者を殺した。彼にとってはまだ商品開発の段階だったので屠殺した人数は押さえ気味だったが、試験的に市場に出し始めていた「デンケ牧場のヒューマン・ジャーキー」は、成果を上げていた。

肉の卸業者は、家畜を飼っていない農場主のカールがどうしたら肉を売ることが出来るのか不思議に思ったが、カールの売る肉はとにかく安かったので仕入れを拒む者はいなかった。

商品開発の過程でカールは多くの人肉を口にしている。真面目な彼は、子供や女の肉が柔らかいことは勿論、年齢別の肉の性質、味、加えられるべき適切な塩加減等について詳細にメモをとっていた。

もちろんこの研究は召使いや女中たちには秘密だったが、気の毒なことに彼らはカールのマーケッティング調査のため、その人肉食品の試食をするという犠牲を払っていた。

彼らの食事には必ずカールの試作品が出され、食後にはアンケートの提出が義務づけられていた。人肉を真面目に一般家庭へ普及させるという異常な取り組みをしていたのだ。

― 人肉の仕入帳 ―
几帳面な彼は「仕入帳」を作成し、恐るべきその帳面には、肉の名前、性別、年齢、人種、体重、死亡年月日、仕入にかかった費用に至るまでドイツ人らしく事細かに記録されていた。

逮捕されたカールは、間もなく独房の中で首を吊って自殺している。彼は死んで、この忌まわしい事件についての証言をすることはなかったが、裁判を経なくとも残された仕入帳がその犯行のすべてを語った。

カニバリズム(人肉嗜食)と変態性欲は切っても切れない関係にあるが、カールの場合は、人肉を商品として売るために殺人を犯したごく稀な例であった。
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