ゲイリー・ハイドニック

2014.10.28.Tue.12:08
1986年11月26日、フィラデルフィアのスラム街で客引きをしていた26歳の売春婦Aが、新車のキャデラックに乗ったハイドニックに声をかけられた。
彼の自宅のベッドでセックスを楽しんだあと、売春婦Aは首を絞められて地下室に引きずり込まれる。

地下室まで降りてくると、彼女は殺されるとパニックに陥り泣き叫んだ。ハイドニックはAをなだめて自分の計画を語った。

「ここに何人もの女たちを閉じ込めて、私の子供を産ませるんだ。ビッグファミリーを作るんだよ。素晴らしい家族を作ろう!」

11月29日になると、25歳のBが2番目の子供生産女として連れてこられた。Bは以前ハイドニックの子を妊娠して、出産費用として1000ドルを貰ったにもかかわらず、子供を産みたくなかった彼女は勝手に中絶した。ハイドニックはその女にもう一度自分の子供を産ませようと企んで拉致したのだ。

12月22日には19歳の女C、年が明けて1987年1月1日には23歳の女D、さらに1月18日には18歳の女Eがハイドニックの「大家族」計画に貢献するべく地下室の囚人になった。

ハイドニックは、彼女たちを鎖に繋ぎ、連日自分とのセックスだけでなくレズ行為なども強要し、反抗すると殴ったり食事を与えないなどの虐待をした。

― 反抗の代償 ―
BとDは何かあるごとにハイドニックに反抗的だったため、彼女らを折檻することにした。まず手足を縛ったBを天井の梁から吊るし、大量のパンを無理矢理のどへ押し込む「パン責め」を約1週間ほど続けたが、Bはそれに耐えることができず衰弱して、パンをのどに詰まらせ窒息死してしまう。

ハイドニックは遺体を地下室から引きずり出し、Bをチェーンソーで解体した。そして見せしめとして、反抗的なDに、Bの頭部を入れてグツグツ煮ている鍋を見せた。数分後、真っ青になって戻ってきたDは
「鍋の中のBの頭を見せられた。」
と拉致されている女たちに報告している。
その日の夜、ハイドニックは、ドッグフードにBの肉を混ぜたものを女たちに食べさせた。

その恐怖でしばらくは大人しいDだったが、再びハイドニックに歯向かうようになると、連帯責任としてAを除く全員を地下室に作った穴に入れ、Aに水を張らせ、電線を入れて電流を流し込むという拷問を行なう。この拷問によってDは感電死してしまった。

ハイドニックは、遺体を処理する手間を省くため、女の死体をニュージャージー州の森の中に埋めた。次は自分の番かもしれないと恐れていたAは、冷静に判断して、まずハイドニックに自分が彼にとって忠実な手下だと思わせて、脱出するチャンスを窺うことにした。

― 裏切りの従順 ―
3月24日、Aは、ハイドニックと街中へ同行した際のわずかなスキをついて、元恋人が住むアパートに駆けこみ、一部始終を話して警察へ通報するように頼む。
元恋人は、はじめのうちは冗談だと相手にしなかったが、あまりに真剣な彼女の話ぶりと身体についた傷の様子を見て、通報した。

警察も彼女の話を聞いた上で捜査が必要であると判断し、ハイドニックの身柄を確保するとともに、家宅捜査令状を取り、明け方に強制捜査が行なわれた。

Aの証言通り、地下室から若い黒人女性が3人発見され、キッチンからはBの肋骨や腕などが発見され、その凄惨な光景にベテラン刑事ですら激しく嘔吐したという。

1988年6月20日、フィラデルフィア地裁でハイドニックの公判が開かれた。
法廷はマスコミの取材合戦の場になり、事件関係者の人権が侵害されることを懸念した判事は、厳重な報道規制を敷き、過度の取材で被害者の一人と報道陣が法廷の廊下でトラブルになると、カメラマンの裁判所への全面立ち入り禁止を命じて、物議を醸した。

また判事は、被告人の精神錯乱状態が今回の事件を発生させたという弁護側の証言によって、陪審員の同情を過度に引くことを警戒したため、精神異常による無罪を申し立てを試みていた弁護側に大きな制約を与えた。

7月1日、陪審団はハイドニックを2件の第一級殺人罪と18件の訴因について有罪を評決、翌日、彼はBに対する殺人罪で死刑判決を受けた。3ヶ月後には、D殺害についても死刑判決を言い渡されている。

1999年7月6日、薬物注射による死刑が執行された。死亡時の年齢は55歳だった。


関連記事
コメント
ジャック・ケッチャムの小説にもなったやつですね〜。

管理者のみに表示