広島タクシー運転手連続殺人事件

2014.11.02.Sun.12:14
1962年(昭和37年)4月、日高広明は宮崎県宮崎市郊外で3人兄弟の末っ子として生まれた。

日高家は多くの山林を所有する地元有数の資産家で農業を営んでいた。

日高は成績は優秀でスポーツ万能。中学時代は野球部の主将を務めた。高校は県内トップの進学校に進んだ。校内のマラソン大会では1位になった。友人も多く、付き合っていた女性もいた。
将来の志望は教師か公務員になることだった。

高校3年生になると、担任の教師から筑波大学の推薦入学を薦められ、受験したが、不合格だった。絶対確実と言われた福岡教育大学も失敗した。
結局、私立の福岡大学法学部へ進んだが、授業にはほとんど出席せず、酒とギャンブルにのめり込んだ。
4年生になったとき留年することが決まった。バカにしていた同級生の中から国家公務員や県の職員になる者が出た。

日高は大学を中退し宮崎市の実家に帰った。周囲には「司法試験に失敗した」と言い張った。
その後、市役所の臨時職員として働き、酒と女におぼれた。バイクの酒気帯び運転で逮捕され、引ったくりを繰り返した。

1986年(昭和61年)1月25日午後0時すぎ、23歳のとき、日高は会社員宅に侵入し、妻に包丁を突きつけて現金2万円と預金通帳を奪った。これで2年の懲役となった。

1989年(平成元年)4月、叔父を頼って広島に出た。ここでタクシーの運転手になった。手取りで30万円あった給料の大半を酒と女に費やした。だがそれでも足りず、サラ金から借金を重ねた。

1991年(平成3年)、29歳になった日高は叔父の紹介で30歳の女性と結婚した。このときのサラ金からの借金は500万円に達していたが、巧妙な方法で清算した。
建て売り住宅を購入し、このローンを実際の金額より400万円上乗せして組み、妻の貯金100万円と合わせて500万円を作り、借金をきれいに返済したのだ。

1993年(平成5年)4月、長女誕生。だがその2日後、妻がブツブツと意味不明のことをつぶやき、時折奇声を上げるようになった。その後妻が入院し、長女は妻の実家に預けることになった。

― そして殺人へ… ―
日高はまた、酒とギャンブルと女にのめり込んでいった。
1994年(平成6年)末、サラ金から借金を繰り返し、その金額は200万円になった。日高は実家の兄に泣きつき返済をしてもらった。妻の病状は一時はよくなって退院したものの、翌年から再び長期入院を強いられた。

1996年(平成8年)4月18日午後8時、日高はタクシーで「西日本一の歓楽街」と言われる薬研掘(やげんぼり)を流していた。援助交際する女たちのたまり場として知られている新天地公園の公衆電話ボックスで電話をかけていた少女に声をかけた。
少女は呉市の県立高校(定時制)1年生の宮地里美(16歳/仮名)だった。

「遊ぶん?」
里美は頷き、タクシーに乗った。日高はコンビニで缶ビールを買い、ラブホテルに入った。約束の2万円を渡し、シャワーを浴び、2人で乾杯した。だが、里美は涙ぐみ始めた。
「どうしたんだ?」
優しく声をかけた。里美は泣きながら言った。
「父親の借金の返済のために大阪から働きにきたの」
里美は現金10万円持っていて呉市まで返済しに行く途中だという。父親の借金のために自分の体を売っていることがとても辛いと訴えた。
日高は思わず、「なんか、セックスするの悪いね」と言ってしまった。
その途端、里美は笑顔を見せ、「ありがとう、優しいのね」と言って、さっさと服を着込み、帰り支度を始めた。
日高は内心、やられたと思った。同情の言葉を口にしてしまった以上、「やっぱりやらせろ」とも「セックスしないなら金を返せ」とも言い出すことが出来ない自分が情けなくなった。

当時、日高には350万円の借金があった。月々の返済は15万円。里美に手渡した2万円と里美が持っている10万円合わせて12万円あれば来月のサラ金への利息に充てられる。
気を取り直して、お人よしのタクシー運転手を装い、「呉まで送っていくよ」と言った。里美はあっさり承諾した。呉市までは約20キロあった。

午後10時50分ころ、日高は山中の工事現場の空き地にタクシーを停め、ヘッドライトを消した。日高は「ごめんね。ちょっとションベンするから」と言って、タクシーを降りた。
どうやって殺そうか・・・・・・
日高はタクシーに戻ると、後部座席を振り返り、明るく声をかけた。「エンジンの調子が悪いけ、ちと足元のシートをめくってくれんね。配線をチェックするけえ」
里美が身をかがめると、日高はネクタイをゆるめ、運転席を降りた。そっと里美の背後に忍び寄り、ネクタイを首に巻きつけ一気に絞った。やがて里美はぐったりとなった。
日高は里美の持ち物を改めた。自分が渡した2万円を含め5万円しかなかった。
「話が違うやないか!」

日高はタクシーに里美の死体を載せたまま、約25キロ離れた広島市安佐南(あさみなみ)区まで戻り、田んぼわきの側溝に死体を棄てた。
奪った5万円は飲み代に消えた。その後、日高は酔っ払い運転で物損事故を起こし、警察に保護されている。

里美殺害後も、日高は借金返済のメドがたたず、ついに督促状が自宅に届き、妻にサラ金からの借金がバレてしまった。取り立ては深夜に及び、離婚騒動になった。
結局、兄に全額返済してもらったが、広島県貸金業協会に誓約し、サラ金から二度と借金できなくなってしまった。

5月6日、殺害から18日後、宮地里美の腐乱した遺体が発見され、翌7日、日高は遺体が発見されたことをニュースで知る。
大阪出身だと言っていたはずなのに、ニュースでは広島県黒瀬町の女子高生だと報じていた。
6月になり、7月になっても警察からは何の接触もなかった。日高は里美と自分とに接点がないことで捜査が自分のところに及んでいないことを確信し自信を深めた。
日高は次第にこう思うようになる「ホテルを出てから殺せばセックスもタダでできる、金も手に入る」


広島市中区薬研堀

― 第2、第3の事件 ―
8月13日深夜、同じくタクシーを運転し、新天地公園で女を誘った。女はスナックに勤めている古月理香(23歳/仮名)だった。車の中で3万円を渡してホテルに入った。
理香は「自分の父親はヤクザで怒ると何をするか分からない」と言った。
「ほおう、お父さんは本物のヤクザか、それは怖いねえ」日高は感心した素振りを見せた。
翌14日午前0時50分、セックスを済ませ、ホテルを出た。途中、コンビニに寄って缶ビールと軍手を買い、広島市安佐南区の県道でいきなり車を停めた。
「よく故障するんだよ」
日高は笑い、理香に床のシートをめくるように頼んだ。殺害方法は宮地里美のときと同じだった。背後からネクタイで首を絞めると、理香は泣き叫んだ。
「さっきの話はウソよ。うちのお父さんはヤクザなんかじゃない。カネは返すから許して」
日高はせせら笑いながらさらに力を加えた。やがて理香はぐったりした。このとき、売春代として渡した3万円を含めた5万2000円を奪った。
その後、広島市安佐北区の道路崖下に理香の死体を遺棄した。

8月30日午前3時、広島市中区で客待ちしていたところ、たまたま通りかかった藤山麻里子(45歳/仮名)を見かけた。
3年ほど前に日高が麻里子の売春客になったとき、持っていた金を盗まれたことがあった。
こいつなら殺して金を奪うのに丁度いい女かも・・・しかし、帰社時間が迫っていたので殺害は日を改めることにした。

9月7日午後10時半、目標としていた運賃収入の5万円には達せず、3万円止まりだった。そこで、不足分の運賃収入を補い、遊ぶ金も稼ごうと売春婦を殺害することを決意した。
広島市南区の路上でいつも客待ちしている麻里子を探した。
午後11時ころ、麻里子を見つけ、声をかけた。麻里子はあっさりタクシーに乗り込んできた。
「どこか遠くで遊ぼうかいね」
「うん、ええよ」
車の中で3万円を渡し、途中、麻里子にコンビニで缶ビールを買わせた。
「タクシーの中でしてもええ?」
「ええよ」
日高は真っ暗な山道でタクシーを停めた。
「俺は後ろからするのが好きなんじゃ。四つん這いになってくれんかね」
麻里子は言われるままに後部座席で背を向けて下着を脱ぐと尻を突き出した。
日高はネクタイとズボンのベルトをゆるめ、唸り声とともにのしかかった。麻里子は危険を察知し、振り返って叫んだ。
「なにするの!」
日高はベルトを引き抜き、首に回して絞った。やがて麻里子は失神した。さらにネクタイで絞めつけた。このとき売春代として渡した3万円を含めた8万2000円を奪った。
翌8日午前0時ころ、死体をタクシーに載せて走らせ、1時間ほど遺棄場所を探したが、結局、広島県加計町(現・広島県安芸太田町)の町道わきの川の茂みに遺棄した。

― 最後の殺人 ―
9月13日午後10時ころ、日高は以前、何度か遊んだことのある女性の通称・アイちゃんに声をかけた。停車したタクシーの中で10分ほど話したあと、日高は缶ビールを買いに外に出た。戻ってみるとアイちゃんの姿はなかった。
アイちゃんの本名はロマンス美里(32歳/仮名)は福岡県の中学を卒業後、ガソリンスタンドやスナックで働くなど、職を転々としたあと結婚し、2人の娘を生んだ。その後、離婚し、娘2人を連れて広島市に移り住んだ。事件の2年前にナイジェリア人の男性と結婚してからは夫の姓である「ロマンス」を名乗っていた。
事件当時は別居しており、夫から経済的な援助を受けることなく、2人の娘とマンションで暮らしていた。

翌14日午前0時すぎ、一軒のホテルの前で再びアイちゃんに出くわした。
「アイちゃん、4万円出すけえ、これを最後の仕事にせんね」
容姿端麗のアイちゃんは相場(1万5000~2万円)の倍以上の金額に承諾した。
「今夜はちっと遠くへ行ってやろうか」
日高はタクシーを走らせ、途中でコンビニに寄り、アイちゃんに缶ビールとツマミを買わせ、そのまま郊外のホテルへ行きセックスした。日高はホテルを出ると後部座席にアイちゃんを乗せ、広島市の西、廿日市(はつかいち)市の方向へタクシーを走らせた。

午前2時、日高はいつものようにひと気のない田舎道でタクシーを停め、ヘッドライトを消した。これまでの殺害方法と同じように、タクシーの故障を装った。
「足元のシートをめくってくれんね」
日高はかがみ込むアイちゃんを見ながら、ネクタイをスルスルと解いた。すると、アイちゃんが顔を上げた。
「なんか怖い」
日高は作り笑いで、ネクタイを座席に掛けた。
「なに言うとるの」
「悪いけど、一人で帰る」
アイちゃんはドアを開け、外に出て速足で歩き始めた。
日高は慌てた。警察に駆け込まれたらお終いだ。タクシーを走らせ、徐行しながらアイちゃんの横につけると、窓を開けて声をかけた。
「ちゃんと送るけえ、乗らんね」
アイちゃんはショルダーバッグから4枚の一万円札をつかんでタクシーの中に投げ入れた。
「もう、お金はいらんから!」
叫ぶように言うと駆け出した。
日高はアクセルを踏み込んでスピードを上げ、アイちゃんの前に回り込んで停車させて、外に出た。立ちすくむアイちゃんの襟首をつかむと持っていたナイフを首に当てた。
「戻れよ」
後部座席に連れ込むと、日高は右拳でアイちゃんの顔面を思いっきり殴った。鼻血が吹き出し、唇が切れた。10発近く殴ると失神した。さらに、ネクタイで首を絞め上げた。
その後、10分ほどタクシーを走らせ、広島県湯来町(現・広島県広島市佐伯区)の旧国道わきの斜面にアイちゃんを遺棄した。このとき、アイちゃんのバッグから1万6000円を奪った。

午前7時、近所に住む女性(当時75歳)が犬の散歩中に草むらに横たわるあアイちゃんの死体を発見した。
前夜、タクシーに乗り込むアイちゃんの姿は通行人によって目撃されており、犯人が割り出されるまでそれほど時間を要しなかった。

9月18日、広島県警は日高の犯行と断定。

9月21日、日高広明(当時34歳)は逃亡先の山口県防府(ほうふ)市で逮捕された。

10月1日、日高の自供により古月理香の遺体が発見される。

10月5日、日高の自供により藤山麻里子の遺体が発見される。

広島地裁での公判で日高は「殺人を犯すことで自分を特別の人間と思うようになり、人を殺すこと自体が強い刺激になり、殺人に快感を覚えた」と証言した。証言通りに受け取るなら「快楽殺人」ということになる。

2000年(平成12年)2月9日、広島地裁は日高広明に対し死刑を言い渡した。控訴せず死刑が確定した。

2006年(平成18年)12月25日、広島拘置所で死刑が執行された。44歳だった。

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