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八仙飯店一家殺人事件

2014.11.03.Mon.12:22
マカオはカジノやドッグレースで週末は賑わうが、普段は小リスボンと呼ばれる静かで平和な港町である。

しかし町の空気にそぐわぬ陰惨な事件が、美しい海岸線の見えるレストランで起こった。
マカオが中国に返還されたのは1999年のことであるから、この事件当時はまだポルトガル領であった。

1985年8月8日、マカオ北部の海岸で遺体の断片が発見された。手首が2つ、右脚と思われる膝から下が4本、左脚の膝から下2本である。その後も断続的に手や踵などがいくつか見つかったが、警察は人食いザメによる被害かもしれないと躊躇し、事件性のあるものかどうかは鑑識に回して、そのまま保留されたままだった。

この近海では、年に数人はサメに食い殺されるという事故が起こるため、サメに襲われたのではないかとの見方も捨てきれなかったからである。

― 容疑者は現店主 ―
それから8ヶ月後、「八仙飯店という大衆飯店を営んでいた鄭一家が突然失踪し、商売敵だったはずの黄志恆という男が今、店を乗っ取っている。マカオの海岸で発見された手足と何か関係があるのではないだろうか。調べて欲しい」という手紙が警察に届いた。差出人は、大衆飯店を営んでいた鄭の弟である。

鄭一家は、夫妻と5人の子供、母方の祖母、叔母とコックの計10人で暮らしていた。その全員が失踪したことは、近所でも噂になっており、「叫び声を聞いた」「店内から異臭がしている」などの不穏な風評さえ飛び交うようになっていた。

問題となっている商売敵の黄もこの近くに飯店を営んでおり、鄭一家とは何度か感情的なトラブルを起こしていたという。
一家の失踪後、店の権利や不動産はいつの間にか黄の手に渡り、八仙飯店は黄の切り盛りによって経営を続けられていた。

9月末に黄を取り調べた結果、黄の本名は陳梓梁、香港で5年間服役した過去があり、1973年には放火殺人未遂の罪に問われていた。しかも指紋を焼き消しているということは、徹底して過去を消す意図があったのだ。

警察は黄を最重要容疑者としたが、遺体は手首や膝下などを除いては、あいかわらず不明のままで、被害者の指紋も「酷似していた」と判明はしたが、ピタリと一致してはいなかったため、ひとつも物的証拠がない。

警察はまず、黄が手に入れた鄭一家の不動産について尋問した。黄の供述は「密輸で得た金で買った」「博打のカタに取り上げた」と二転三転した。
また、一家は移民したのだと彼は主張したが、鄭一家が出国した形跡は記録に残っていなかった。

身分証偽造の罪により黄は刑務所に収監されたが、鄭一家の失踪については一貫して犯行を否認し、冤罪だと訴え続けた。

― 狂った自供 ―
だが黄は独房の中で、次第に精神の均衡を失っていき、突如泣き出したり、独り言を呟いていることが多くなった。

看守の報告により黄は精神鑑定がなされたが、特に異常は認められず、黄はまた独房へ戻される。

しかしある夜、黄は悪夢にうなされ、「あいつらが来る、おとなと子供の10人、奴らが来るんだ。」とわめき散らし、糞尿を洩らしながら自分の舌を噛み切ったため、自殺阻止のため大部屋送りとなった。

このとき黄が大部屋で洩らした独り言の内容が「実質上、この事件の概要」として知られているものである。

鄭一家が賭け麻雀の負けを溜め込み、それを支払わなかったことがもとで黄が逆上し、真夜中に寝入っている一家を襲い、縛り上げ、皆殺しにしたというものだ。
切り刻んだ遺体は黒ビニール袋へざくざくと放り込み、無造作に遺棄した。それがどう海岸に流れ着いたかは不明である。
遺体のほとんどの部分が見つからなかった為、遺体は厨房で解体され、その人肉でスープを作り、饅頭の具にしたという説も流布された。この説をもとに『八仙飯店之人肉饅頭』という映画が作られている。

黄の錯乱は進み、悲鳴を上げて暴れ回り、糞便を食べようとしたり、夜中になると大声で叫び狂った。
何度も自殺未遂を図り、精神安定剤や睡眠薬を投与しても薬がきれるとまた暴れ出し、食事もせずに栄養は点滴のみであった。黄は完全な狂人であった。

1985年10月2日、黄は明らかな精神異常にもかかわらず、起訴された。しかし、その3日後の真夜中、黄は自分のベッドで、手首の動脈を缶ジュースのプルトップで切り開き、ようやく自殺に成功した。


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